遺伝子組換え実験安全マニュアル
遺伝子組換え技術は人類に有益である一方、遺伝子組換え生物等(Living Modified Organism,
LMO)が有する性質により、生物の多様性に影響を及ぼすことが指摘されてきました。そのような中、「生物の多様性に関する条約」(1993年発効)に基づいて、遺伝子組換え生物等の安全な取り扱いについて定めた「カルタヘナ議定書」が2000年1月に採択されました。日本においては、2003年11月に議定書の締結が行われ、これを受けて、「遺伝子組換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律」(ここでは「カルタヘナ法」と呼びます)が、2004年2月に施行されました。これに伴い、それまで約25年間運用されてきた「DNA実験指針」は廃止されました。カルタヘナ法は、LMOの使用や保管時における拡散を防止する措置のみならず、譲渡、運搬及び輸出に際して取るべき措置も定められています。
本学で遺伝子組換え実験を行うには、まず香川大学長に実験計画を申請し、取るべき拡散防止措置が適切かの確認を受けなければなりません。遺伝子組換え実験の安全管理に関する事項は、本学に設置された「組換えDNA実験安全委員会」により審議されます。申請内容によっては、主務大臣による確認が必要とされる場合もあります。申請内容の確認後は、カルタヘナ法と関連省令及び学内規定などに定められた安全対策を講じた実験室で、必要な拡散防止措置を遵守して実験等を行うことが義務づけられます。違反した場合には、懲役及び罰金等の罰則が科せられることがあります。
ここでは、遺伝子組換え生物等の使用等における安全確保の基本的な考え方と、実際に実験を行う際に注意すべき点を解説します。また、譲渡、運搬、輸出の際の手続きなどについても簡単に述べます。
1. 遺伝子組換え生物等の使用等に係る措置
カルタヘナ法では、遺伝子組換え生物等の使用形態を、「環境中への拡散を防止しないで行う使用等(第一種使用等)」及び、「環境中への拡散を防止しつつ行う使用等(第二種使用等)」の二つに区分し、その執るべき措置が規定されています。
@ 第一種使用等の例
・ 圃場における遺伝子組換え植物の栽培
・ 遺伝子組換え動物の放牧
A 第二種使用等の例
・ 実験室における遺伝子組換え生物の使用
・ 動物実験施設における遺伝子組換え動物の飼育
2. 遺伝子組換え生物等の使用等の安全管理の考え方
遺伝子組換え生物を使用する際の拡散防止措置を定めている省令は、「産業利用に係る使用等」及び「研究開発に係る使用等」に関する二種類があります。研究開発等に係る第二種使用等の場合は、「研究開発等に係る遺伝子組換え生物等の第二種使用等に当たって執るべき拡散防止措置等を定める省令(二種省令)」で定められています。その概要を以下に説明します。
2-1) 「遺伝子組換え生物等の使用等」とは
@ 「遺伝子組換え生物等」とは
「遺伝子組換え生物等」とは、以下に示した遺伝子組換え技術により得られた核酸、或いはその複製物を有する生物を指します。
a) 細胞外において核酸を加工する技術
但し、セルフクローニング、ナチュラルオカレンスは除外されます(*)。
b) 異なる分類学上の科に属する生物の細胞を融合する技術。
但し、従来から用いられている方法、交配等は除外されます。
*)
すなわち、放射線照射や化学薬品処理により誘導された突然変異のみを有する生物は、本法の規制対象外となります。
A 「生物等」の定義
カルタヘナ法では、生物を「一の細胞又は細胞群であって核酸を移転し又は複製する能力を有するものとして主務省令で定めるもの、ウイルス及びウイロイド」と定義しています。分りやすくは、以下に記載したもの「以外」を生物とみなします。
a) ヒトの細胞等
b) 分化する能力を有する、又は分化した細胞等(個体及び配偶子を除く)であって、自然条件において個体に成育しないもの。
生物でないものの例:
動植物の培養細胞(ES細胞を含む)
動物の組織、臓器
切りカボチャ、大根や白菜、種なし果実等
生物の例:
動植物の配偶子(花粉等)
動物の胚
B 「使用等」とは
本法律において使用等とは、「食用、飼料用その他の用に供するための使用、栽培その他の育成、加工、保管、運搬及び廃棄並びにこれらに付随する行為をいう。」と定義づけられています。すなわち、遺伝子組換え生物を用いる行為の全てを含んでいます。
C 「遺伝子組換え実験」とは
遺伝子組換え実験は、研究開発に係る第二種使用等から、細胞融合実験、保管及び運搬を除いたものとして定義づけられています。すなわち、以下の項目が該当します。
微生物使用実験
大量培養実験(設備の総容量が20 Lを超えるもの)
動物使用実験
植物使用実験
以下の実験は、遺伝子組換え実験ではありません:
・ 試験管内(細胞外)における核酸の加工
・ 動植物の培養細胞に核酸を物理的・化学的に導入する実験(但しウイルスベクターを用いて導入する場合は、遺伝子組換え実験となります)
・ 遺伝子組換え培養細胞を用いた実験(但し、これら培養細胞をマウス等の個体に移植するような実験は遺伝子組換え実験となります)
・ 大腸菌の遺伝子を、大腸菌が本来持つプラスミドを用いて大腸菌内で増やす実験
Enterobactorの遺伝子を、大腸菌のプラスミドを用いて大腸菌内で増やす実験(大腸菌とEnterobactor属の間では自然界で遺伝子交換があるため)
以下の実験は、遺伝子組換え実験となります:
・ 動物や植物の遺伝子をプラスミドに入れ大腸菌内で増やす実験
・ 遺伝子組換えウイルスを培養細胞に感染させる実験(ウイルスは生物であるため)
2-2) 「遺伝子組換え生物等の使用等」における安全確保の基本的考え方
二種省令では、遺伝子組み換え実験を安全性の面から分類し、それぞれで取るべき拡散防止措置を定めています。
@「実験分類」
実験分類とは、扱う宿主または核酸供与体をその性質(病原性、伝播性)に応じ、クラス1〜4までの4段階に分けたものです。哺乳類や鳥類に病原性を示さないものを扱う実験がクラス1で、病原性も伝播性も高いものを扱うのがクラス4です。詳細は二種省令の「別表第2」をご覧下さい。
クラス1:大腸菌(実験室株)、酵母、マウス、植物ウイルス、昆虫ウイルス
クラス2:病原性大腸菌、ヒトアデノウイルス、麻疹ウイルス
クラス3:
HIV、結核菌、SARSコロナウイルス
クラス4:ニパウイルス、エボラウイルス
A「認定宿主ベクター系」
「認定宿主ベクター系」とは、特殊な培養条件下以外での生存率が低い宿主と、当該宿主以外の生物への伝達性が低いベクターとの組み合わせのことです。また、「特定認定宿主ベクター系」とは、認定宿主ベクター系のうち、特殊な培養条件以外での生存率が極めて低い宿主と、当該宿主以外の生物への伝達性が極めて低いベクターとの組み合わせのことです。これらの具体的なリストは、二種告示別表第一に記載されています。
B遺伝子組換え実験で取るべき拡散防止措置の決め方
二種省令では、以下の3点を主な基準として、その組み合わせから執るべき拡散防止措置を定めています。
a) 核酸供与体のクラス
b) 宿主となる生物のクラス
c) 認定宿主ベクター系使用の有無
C本学の安全管理規定
香川大学遺伝子組換え実験安全管理規程は、カルタヘナ法及びこの法律に関連した省令・告示(以下「省令等」という)に基づき、本学において遺伝子組換え生物等の第二種使用等にあたって執るべき安全確保及び拡散防止措置等に関し、必要な事項を定めています。
a) 実験責任者の抜粋
実験を実施しようとするときは、実験計画ごとに当該実験に従事する者(以下「実験従事者」という)のうちから実験責任者を定めなければならない。実験責任者は、法律、省令等及びこの規程を熟知するとともに、生物災害の発生を防止するための知識及び技術並びにこれらを含む関連の知識及び技術に習熟した者とする。実験責任者は、当該実験計画の遂行について責任を負い、次の各号に掲げる職務を行う。
(i) 実験全体の適切な管理及び監督
(ii) 実験従事者に対する教育訓練
(iii) その他実験の安全確保・使用等の拡散防止措置等に関する必要事項
実験責任者は、安全委員会の助言に従い、実験開始前に実験従事者に対し、法令、省令及びこの規程を熟知させるとともに、次の各号に掲げる教育訓練を行わなければならない。
(i) 危険度に応じた微生物安全取扱技術
(ii) 物理的封じ込めに関する知識及び技術
(iii) 生物学的封じ込めに関する知識及び技術
(iv) 実施しようとする実験の危険度に関する知識
(v) 事故発生の場合の措置に関する知識
(vi) その他実験しようとする実験に係る安全の確保に関し必要な知識及び技術
b) 実験従事者の抜粋
実験従事者は、実験の計画及び実施にあたっては、安全確保・拡散防止措置等について十分に自覚し、必要な配慮をするとともに、あらかじめ、遺伝子組換えに係る標準的な実験方法並びに実験に特有な操作方法及び関連する実験方法に精通し、習熟し、実験責任者の指示に従わなければならない。
実験従事者は、たえず自己の健康管理を行うとともに、健康に変調をきたした場合又は重症若しくは長期にわたる病気にかかった場合には、その旨を実験責任者に報告しなければならない。
施設や設備の不備に気付いたとき、遺伝子組換え実験中に事故があったときは実験責任者を通じ、あるいは直接に安全主任者に報告してください。
3.
遺伝子組換え実験の安全確保の方法
遺伝子組換え実験は、法や関係省令が規定する拡散防止措置を遵守しながら行わなければなりません。本学では、P3レベルまでの実験の遂行が可能ですが、ここではP1とP2レベルに相当する実験における具体的な安全確保の方法を述べます。
3-1) 基本事項
環境への汚染を防ぎ、実験従事者の安全を守る基本は、一般の実験における安全確保の方法をまず遵守することです。
a) 環境への汚染を防ぐ
(i) 全ての遺伝子組換え生物は、不活化(消毒・滅菌など)をしてから廃棄します。
(ii) 遺伝子組換え生物が付着している可能性のある実験機器、実験器具、容器、ペーパータオルなどあらゆるものは、まず全て消毒・滅菌してください。
(iii) 基本的に、オートクレーブ処理を行って下さい。
(iv) アンチホルミン(塩素)による消毒・滅菌を行うときは、有機物により有効な塩素濃度が低下することを考慮に入れ十分な量の塩素を用い、オーバーナイト等の処理りを行って下さい。
(v) 机の上や床にこぼした時、身体、衣服などに遺伝子組換え生物が付着したときは、直ちに70%アルコールなどで消毒・滅菌してください。
(vi) 死んだ動物や枯れた植物体(種子などももたない)は、すでに不活化されていますので、他の遺伝子組換え生物(感染させたウイルス粒子や細菌など)を含まない限り、通常の動物や植物の処理方法に準じて廃棄してください。
b) 実験従事者の安全を確保する
本学で使用されているほとんどの遺伝子組換え生物は、人体への危険性はないと思われるものです。しかし、一部の動物ウイルスや微生物などは、感受性を持った人に感染する可能性があります。また、弱いながら毒性やアレルギー性を有する蛋白質などを、遺伝子組換え生物をもちいて産生する実験も行われるかもしれません。
実験従事者が自身の安全を確保するためには、
実験の内容を熟知し、取るべき安全確保策と拡散防止措置を理解すること。 使用する遺伝子組換え生物やベクター、遺伝子の性質を熟知し、人体に及ぼす影響を常に考慮した取り扱いを行うこと。 |
が必須です。また、一般の生物科学実験の心得として
実験室内での飲食や、飲食物の保管はしないこと。 実験衣を着用すること。 必要に応じ、ゴム手袋・防御メガネ・マスクを着用すること。 口でのピペッティングは行わないこと。 実験台やその周辺の整理整頓をすること。 |
を励行してください。
a) 遺伝子組換え実験で取るべき拡散防止措置の実際
二種省令の別表二を参照してください。ここではP1とP2に相当するものだけ述べます。
@微生物実験の実施要項
遺伝子組換え生物として、微生物、原生生物、ウイルス及びウイロイドを用いる実験です。
P1レベル *設備など 実験室は、通常の生物の実験室としての構造と設備を持っていること。 *実験上の注意 遺伝子組換え生物を含む廃液、廃棄物は、予め不活化してから廃棄すること。 遺伝子組換え生物が付着した設備、機器、器具は不活化してから廃棄または再使用すること。 1日の実験終了時、または遺伝子組換え生物が付着した時は、実験台を消毒すること。 実験室の扉、窓は閉じること。 実験の内容を知らない者の立入りを制限すること。 エアゾルの発生を最小限にすること。 実験室外へ持ち出すときは、漏出しない容器に入れること。 遺伝子組換え生物の付着や感染の予防のため、手洗いを励行すること。 P2レベル P1レベルの措置に加えて、以下の措置を講じること。 *設備など エアゾルが発生する場合には、研究用安全キャビネットを設置すること。 実験室のある建物内に、オートクレーブを設置すること。 *実験上の注意 エアゾルが発生する場合には、研究用安全キャビネットを使用すること。 実験室の入口に「P2レベル実験中」の表示を行うこと。 同じ部屋でP2レベル以外の遺伝子組換え実験が行われるときには、レベルごとに実験区域を明確に分けること。 |
注1) 本学には、数ヵ所のP2実験室があります。P2実験はその実験室でのみ行ってください。
注2) 安全キャビネットとは、内部を陰圧に保ち、廃棄をHEPAフィルターで処理できる特別のキャビネットです。通常の培養用クリーンベンチや化学フードではありません。
A大量培養実験
大量培養実験とは、実際に培養する量ではなく、培養設備の総容量が20リットルを超える実験が相当します。詳しくは遺伝子組み換えの安全主任者にご相談ください。
B動物使用実験の実施要領
動物である遺伝子組み換え生物、あるいは、動物が保有している遺伝子組換え生物(例えばウイルスを接種した動物)を用いる実験です。動物に固有な拡散防止措置がありますので、P1A、P2Aと呼ばれています。
P1A〜P2Aレベル ビセイブツジッケンノP1〜P2の措置に加えて、以下の措置(A措置)が必要 *設備など 通常の動物の飼育室としての構造、設備を持つこと。 動物の習性に応じた逃亡防止の設備を持つこと。 ねずみ:ネズミ返し ハエ
:前室、ドア、窓、換気扇口に金網 サカナ :排水口に金網 フン尿等に遺伝子組換え生物が含まれるときは、フン尿を回収する設備。 *実験上の注意 個体、あるいは群として識別できる措置(耳パンチ、飼育容器ごとに識別)を取ること。 実験室外へ持ち出すときは、逃亡を防止できる容器に入れること。 P1Aでは「組換え動物飼育中」、P2Aでは「組換え動物飼育中(P2)」の表示を行うこと。 |
注1) 動物舎の使用規則も参考にしてください。
注2) 動物舎から実験室へなど、公共の場所を通って遺伝子組換え動物を移動するときは、どちらか一方が壊れていても逃亡できないような二重の容器に入れ、「組換え動物運搬中」のラベルを張ってください。
特定飼育区画の要点 病原性や伝達性に関係しない同定済みの核酸が染色体に安定に組み込まれているなど、一定の条件を満たす遺伝子組換え生物は「特定飼育区画」で飼育することができます。 *設備など 動物の習性に応じた逃亡防止設備を二重に設置すること。 *実験上の注意 P1の注意点である 遺伝子組換え生物の不活化 飼育区画の扉を閉じておく 遺伝子組換え生物の付着や、感染防止のための手洗い 関係者以外の立入り制限 に加えて、以下の措置を講じること 個体、あるいは群として識別できる措置(耳パンチ、容器ごとに識別)を取ること。 実験室外へ持ち出すときは、逃亡を防止できる容器にいれること。 「組換え動物飼育中」の表示を行うこと。 |
C植物使用実験の実施要領
植物(あるいはキノコ類である遺伝子組換え生物、あるいは、植物が保有している遺伝子組換え遺伝子組換え生物(例えばウイルスを接種した植物)を用いる実験です。植物に固有な拡散防止措置がありますので、P1P、P2Pとよばれています。
P1P〜P2P 微生物実験のP1〜P2の措置に加えて、以下の措置(P措置)が必要。 *設備など 通常の植物の栽培室としての構造、設備を持つこと。 排気中の組換え植物等の花粉等を最小限にする排気設備。 *実験上の注意 P1Pでは「組換え植物栽培中」、P2Pでは「組換え植物栽培中(P2)」の表示を行うこと。 |
特定網室の要点 転移因子を含まず、病原性や伝達性に関係のない同定済み核酸が染色体の安定に組み込まれているなど、一定の条件を満たす遺伝子組換え植物は特定網室で栽培ができます。 *設備など 昆虫の侵入を最小限にとどめるよう、窓や換気口に網を設置する。 前室を設けること。 排水に遺伝子組換え生物を含む場合には、排水を回収できる設備を持つこと。 網室に周囲で植物の繁茂を防ぐ措置を講じること。 *実験上の注意 P1の注意点である 遺伝子組換え生物の不活化 特定網室の扉を閉じておく 遺伝子組換え生物の付着や、感染防止のための手洗い 関係者以外の立入り制限 に加えて、以下の措置を講じること 花粉等を持ち出す昆虫の防除を行うこと。 花粉飛散時期には窓を閉める、袋かけを行うなど、花粉の外部への飛散を防止すること。 「組換え植物栽培中」の表示を行うこと。 |
注)この冊子中の「植物の栽培について」も参考にしてください。