今雪真一先生の胸像

今雪真一先生胸像が、「香川大学 News Letter
(かがユニ)」第9号(平成23年10月1日
発行)のブランド資産紹介コーナーで紹介され
ました


かがユニ第9号  ブランド資産紹介 今雪真一先生胸像  

本学の農学部へ行くには「ことでん」長尾線が便利で、「農学部前」駅を下車し
徒歩で北へ1分余りで東門に着きます。東門を入り最初に目にする建物が「機
器センター」で、その前庭に今回紹介する「今雪真一先生胸像」があります。  



今雪真一先生は、明治25年8月17日に木田郡牟礼村大字原(現、高松市牟礼
町原)にお生まれになりました。明治43年3月に香川県立農林学校(現、本学農
学部)をご卒業、直ちに鹿児島高等農林学校林学科に進まれ大正2年7月に卒
業されました。その後、香川県ついで愛媛県林務課技手を経て、大正8年12月か
ら母校の香川県立農林学校(後に香川県立木田農業学校)の教諭を務められま
した。親身になってよく在学生や卒業生の指導に当たられ、学生から「蛇鳴」の
愛称で親しまれ敬愛されました。とくに、海外発展を提唱し私費まで投じて移植
民教育に日夜尽力され、「木田農植民部の育ての親」として、また「香川県南米
移民の父」として県内はもとより広く全国にその名を知られました。  



昭和13年3月に大川農業学校と大川高等女学校(現、石田高校)の校長に栄転
され、退官後の昭和28年からは香川県移住協会副会長(会長は金子知事)とし
て移住事業に専念されました。そして、先生のお子様方4人も率先して移住され、
遂には先生ご自身も奥様とご一緒に昭和36年4月22日に南米移住の途につかれ
ました。現地で同胞の連絡や後進の指導に当たっておられましたが、昭和42年8
月20日ブラジルの大地に大往生を遂げられました。  「先生の輝かしいご功績を
称える声が澎湃として起こり、偉業を永く後世に伝え限りない敬慕の誠を表すた
め(碑文)」昭和44年7月に胸像が建設されました。渡辺弘行氏制作、讃岐石材加
工組合施工によるもので、正面の碑銘は前川忠夫氏(元学長、県知事)の、側面
の碑文は安部一郎氏の書によるものです。なお、当初の建設場所は農学部の北
庭でしたが、その後建設の池戸会館の影になっていましたので、平成5年11月に
現在地に移され、その折にブラジル語訳の碑文も付されました。

 

(文・写真 農学部 川田和秀(修7))
 紹介記事(PDFファイル)