登山と研究 雑感(2016年7月4日 亀下)

私は、若いころから山登りとスキーが好きで、結構な頻度で出かけていました。その後、スキー場にスノーボーダーがやたらと増えだした頃からスキーとは疎遠になり、また山に関しては高齢者登山ブームでお年寄りが目立ちだした頃から足が遠のきました。ただ、気づいてみればいつの間にか私自身も高齢者の仲間入りです。また山歩きでも再開しようかと思い始めているところです。
最近、竹内洋岳氏が書いた「標高8000メートルを生き抜く登山の哲学」という本を読みました。地球上には標高8000メートルを超える山が14座あり、それらの山すべてに登頂した人は“14サミッター”と呼ばれています。日本にも優れた登山家はたくさん知られていますが、14サミッターは一人しかいません。その日本でたった一人の14サミッターが竹内洋岳氏です。名前からして生まれつき海外の山々に登りそうな人ですが、この人の書いた上記の本にいろいろ興味深いことが書かれていましたので紹介したいと思います。
伝統的な日本の高所登山のやり方は、力のある登山家を集めて大きな登山隊を組織し、計画的、組織的に荷物を高所に運び上げて、最終的には少数の者だけが、山頂に到達するというスタイルです。竹内氏も最初は組織登山から入りましたが、その後コンパクトで、スピーディで、フレキシブルな登山のスタイルを目指すことにより、14座の登頂に成功しています。もし旧態依然とした組織登山を続けていれば、莫大な費用と時間と労力が必要であり、14サミッターの達成は困難であったと思われます。研究の分野でも、多額の国家予算がつぎこまれ遂行されたxxxプロジェクトの類が、期待されたほど成功していないのも、小回りの利かない大規模な組織登山に似ているような気がします。
竹内氏は、プロ登山家としてのトレーニングについて聞かれたときに、平地では何もしていないと答えています。「高所登山には、筋肉はむしろできるだけ少ない方がよい。筋量が増えれば体重が重くなるし、酸素の消費量も多くなる。低酸素の高所では、体についた不要な筋肉は酸素をムダ使いするので、使い道のない荷物を持っていることと変わらない。高所登山のトレーニングは、高所を登ることなのです。」これは生化学者の立場からも、なるほどと思います。そういえば、40年近く前に私がネパールに行ったとき、ヒマラヤの麓のルクラの山小屋で登山家の山田昇氏と同じ部屋になりましたが、どこにでもいる目立たない体形の普通のにいちゃんだったのを思い出しました。山田氏は、傑出した登山家で日本初の14サミッターになるであろうと期待されていましたが、残念なことにその後マッキンレー登山で帰らぬ人となりました。

「子供の頃を振り返って「これをやれ」と言われたことは、ほとんどやったためしがなかった。「体にいいから」とか、「将来役に立つから」とか、いろいろな理由をつけて勧められても全然興味が湧かない。むしろ、「危ないからやっちゃダメ」と、大人たちから叱られるようなことを、こっそり隠れてやるほうが楽しかった。」 確かに、昔の話ですが、教授が面白がって出してくれた課題はあまり興味が湧きませんでしたが、自分で見つけた研究テーマは、非常に楽しく取り組むことができました。自分の興味を無理に他人に勧めるのも考えないとなりません。
「登山は想像のスポーツです。頂上まで行って、自分の足で下りてくる。ただそのために、登山家はひたすら想像をめぐらせます。無事に登頂する想像も大事ですが、うまく行かないことの想像も同じように大事です。」これも研究と似ていますね。うまく行かなかった場合のことまで考えて実験している学生さんは少ないように思います。
「14座の登頂は、個人でつくるコンパクトな登山という新しいスタイルを求めたから届いたと感じています。個人の意思よりも組織の任務が優先される仕組みでは、フレキシブルに計画を発展させることも不可能に近い。」それぞれの分野において頂点を極めた人の言葉には、なかなか重みがあります。研究と登山がいろんな点で似ていると随所で感じられますが、おそらく研究だけでなく、どんな分野でも共通したことがあるのだろうと思います。
私は、今年3月に37年間務めた大学教員生活から引退しました。このホームページの「雑感」もこれが一応の区切りになると思います。ここまで読んでいただいた方々は、どのような人たちなのかわかりませんが、皆さんが興味を持たれたそれぞれの分野で今後ご活躍されることをお祈りしたいと思います。 (亀下) |