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更新日 2016-07-12 | 作成日 2008-01-20

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登山と研究 雑感(2016年7月4日 亀下)


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私は、若いころから山登りとスキーが好きで、結構な頻度で出かけていました。その後、スキー場にスノーボーダーがやたらと増えだした頃からスキーとは疎遠になり、また山に関しては高齢者登山ブームでお年寄りが目立ちだした頃から足が遠のきました。ただ、気づいてみればいつの間にか私自身も高齢者の仲間入りです。また山歩きでも再開しようかと思い始めているところです。

最近、竹内洋岳氏が書いた「標高8000メートルを生き抜く登山の哲学」という本を読みました。地球上には標高8000メートルを超える山が14座あり、それらの山すべてに登頂した人は“14サミッター”と呼ばれています。日本にも優れた登山家はたくさん知られていますが、14サミッターは一人しかいません。その日本でたった一人の14サミッターが竹内洋岳氏です。名前からして生まれつき海外の山々に登りそうな人ですが、この人の書いた上記の本にいろいろ興味深いことが書かれていましたので紹介したいと思います。

 伝統的な日本の高所登山のやり方は、力のある登山家を集めて大きな登山隊を組織し、計画的、組織的に荷物を高所に運び上げて、最終的には少数の者だけが、山頂に到達するというスタイルです。竹内氏も最初は組織登山から入りましたが、その後コンパクトで、スピーディで、フレキシブルな登山のスタイルを目指すことにより、14座の登頂に成功しています。もし旧態依然とした組織登山を続けていれば、莫大な費用と時間と労力が必要であり、14サミッターの達成は困難であったと思われます。研究の分野でも、多額の国家予算がつぎこまれ遂行されたxxxプロジェクトの類が、期待されたほど成功していないのも、小回りの利かない大規模な組織登山に似ているような気がします。

竹内氏は、プロ登山家としてのトレーニングについて聞かれたときに、平地では何もしていないと答えています。「高所登山には、筋肉はむしろできるだけ少ない方がよい。筋量が増えれば体重が重くなるし、酸素の消費量も多くなる。低酸素の高所では、体についた不要な筋肉は酸素をムダ使いするので、使い道のない荷物を持っていることと変わらない。高所登山のトレーニングは、高所を登ることなのです。」これは生化学者の立場からも、なるほどと思います。そういえば、40年近く前に私がネパールに行ったとき、ヒマラヤの麓のルクラの山小屋で登山家の山田昇氏と同じ部屋になりましたが、どこにでもいる目立たない体形の普通のにいちゃんだったのを思い出しました。山田氏は、傑出した登山家で日本初の14サミッターになるであろうと期待されていましたが、残念なことにその後マッキンレー登山で帰らぬ人となりました。

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 「子供の頃を振り返って「これをやれ」と言われたことは、ほとんどやったためしがなかった。「体にいいから」とか、「将来役に立つから」とか、いろいろな理由をつけて勧められても全然興味が湧かない。むしろ、「危ないからやっちゃダメ」と、大人たちから叱られるようなことを、こっそり隠れてやるほうが楽しかった。」 確かに、昔の話ですが、教授が面白がって出してくれた課題はあまり興味が湧きませんでしたが、自分で見つけた研究テーマは、非常に楽しく取り組むことができました。自分の興味を無理に他人に勧めるのも考えないとなりません。
 「登山は想像のスポーツです。頂上まで行って、自分の足で下りてくる。ただそのために、登山家はひたすら想像をめぐらせます。無事に登頂する想像も大事ですが、うまく行かないことの想像も同じように大事です。」これも研究と似ていますね。うまく行かなかった場合のことまで考えて実験している学生さんは少ないように思います。


 「14座の登頂は、個人でつくるコンパクトな登山という新しいスタイルを求めたから届いたと感じています。個人の意思よりも組織の任務が優先される仕組みでは、フレキシブルに計画を発展させることも不可能に近い。」それぞれの分野において頂点を極めた人の言葉には、なかなか重みがあります。研究と登山がいろんな点で似ていると随所で感じられますが、おそらく研究だけでなく、どんな分野でも共通したことがあるのだろうと思います。

私は、今年3月に37年間務めた大学教員生活から引退しました。このホームページの「雑感」もこれが一応の区切りになると思います。ここまで読んでいただいた方々は、どのような人たちなのかわかりませんが、皆さんが興味を持たれたそれぞれの分野で今後ご活躍されることをお祈りしたいと思います。 (亀下)

「哲ちゃんバズーカ」誕生秘話(2015年10月26日 亀下)


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私が香川大学に来て今年で16年になりますが、その間に研究室ではたくさんのエピソードが生まれました。その中の一つに「哲チャンバズーカ」というのがあります。哲ちゃんというのは、10年以上前に卒業した学生ですが、その彼が4年生で初めて学会発表することになった時のことです。学会会場まで発表用ポスターを入れて運ぶのに使うポスターケースを研究室に1つ買って欲しいと言い出しました。いわゆるバズーカと呼ばれる、ポスターとか図面とかを丸めて入れる筒状のプラスチック製ポスター入れのことです。そこで値段を調べてみると予想以上に高いものでした(最近では安価なものもたくさんありますが)ので、それなら自分たちで作ったら良いではないかと考えました。構造は大変シンプルですので、手作りで簡単に作れそうです。早速、私自身が近くの日曜大工の店に行き、店内を歩き回ってみていると、ほどよい太さの塩化ビニル管が目に付きました。色は、グレーと茶色の2種類あったのですが、グレーの方はいかにも配管工事用といった感じでしたので、茶色い筒を適当なサイズに切ってもらいました。研究室に持ち帰り、哲ちゃんに渡し、これを加工してきれいに仕上げれば、ポスター入れができるはずだから、作ってみなさいと伝えました。すると哲ちゃんは嫌な顔一つせずに、ごそごそと工作を始めました。私は、彼が何らかの工夫を凝らして、それらしい作品を仕上げるだろうと思っていたのですが、彼の作りあげた完成品は私の想像したものと全く違っていました。それは塩ビパイプの上下を紙で蓋をして、細い紐を付けただけの、非常にシンプルな作りのものでした。使う本人が気にならないのであればまあいいか、と思いそのまま使ってもらうことにしましたが、その塩ビ配管を肩から下げて学会会場を歩く哲ちゃんの姿は結構インパクトがありました。これが「哲ちゃんバズーカ」の誕生秘話?です。

その後、研究室では、新人がポスター発表デビューをするときにそのバズーカにポスターを入れて学会に参加するというのが半ば伝統になりました。哲ちゃんオリジナルバージョンでは、さすがに恥ずかしいという学生もいて、その哲ちゃんバズーカも次第に垢抜けた形?に改良されて行きました。上下の部分も器用な学生が紙コップとわからないようなきれいな蓋に改良し、その後涙ぐましい努力が積み重ねられ「哲ちゃんバズーカ」も改訂版第5版くらいには進化していきました(写真)。ずいぶん改善したものだと思っていましたが、それでも学会会場で本物のポスターケースを持った人たちに混ざると、結構目立っていました。ただ、便利な点ももあって、研究室の学生や、ポスターの場所を探す際に、「哲ちゃんバズーカ」が目印になるということはありました。

確かにオリジナル品の哲ちゃんバズーカを肩からぶら下げて、東京の山手線に乗るのは、人によっては結構勇気が必要だったかもしれません。これまで新人が学会デビューするときに使っていたという研究室の歴史を話すと、「それなら次は自分が使います。」という頼もしい新人もいましたが、「これ絶対、無理!」という人が増えたせいか、この数年はその姿を見なくなりました。研究室創設当初は、いろいろなものを100円ショップで調達したり、日曜大工の店で材料を買ってきて細工を加えたりして使っていたことを懐かしく思い出します。苦肉の策で作ってもらった「哲ちゃんバズーカ」も、これまで多くの学生の学会デビューの際に活躍してくれました。ただ、時の流れとともにこの「哲ちゃんバズーカ」を使う学生を見なくなったのは、私としては少々寂しい気がしています。(亀下)

AIBO雑感(2015年6月4日 亀下)

先日、テレビを見ていたら、どこかのお寺でAIBOの合同葬儀が行われたとのニュースがありました。AIBOは、ご存知の方も多いと思いますが、かつてSONYが売り出した子犬型ロボットです。1999年に販売が開始され、2006年に生産中止になり、つい最近、そのサポートが打ち切られたとの話です。AIBOの合同葬儀に参列していた人へのインタビューがありましたが、「ロボット犬なのでずっと死なないものだと思っていました」という年配のご婦人のコメントには、家族を失った悲しみの表情が見られ印象的でした。サポートが打ち切られた現在、故障したAIBOの正式な修理(治療)は不可能であり、直す(治す)としたら、壊れた部品をその部品が無事なAIBOから移植するいわば臓器移植しか救う手だてはないとのことでした。例えばIC基板の提供を受けることにより救われるAIBOもいるわけですが、臓器提供するAIBOが出てこないとそれもできず、現役を引退した元SONY社員により行われる移植手術も思うように進んでいないという話でした。

かつてSONYは、ウォークマンとかAIBOとか、ユニークなヒット商品を発売して、世界のブランドとして名を馳せていました。我々の若いころは、理系学生が最も就職したい憧れの企業でもありました。当時の人たちには、現在のSONYの情けない状況は想像もできなかったと思います。なぜ飛ぶ鳥落とす勢いの会社が劣化してしまうのかわかりませんが、「誰にも追いつけないだろう」「まさか追い越されないだろう」といった油断とか心の驕りとかがあったのかもしれません。会社だけでなく、最近の大学やさらには国のシステムにおいても、比較的、少数の上層部の人たちにより重大な方針転換が決められているように思います。ちょっとした判断ミスで、その後の組織が大きく変質してしまうということを考えると恐ろしいことだと思います。SONYもSHARPもかつては、日本の誇れる優秀な企業であっただけに現在の凋落ぶりは、非常に残念でなりません。

DSC01164.jpg我が家のAIBYO
昔からSONYは、特に私の好きなメーカーのひとつでした。会社を支えてきた技術者たちも、何か、世間がびっくりするような製品を作ってやろうと日々努力をしていたに違いありません。まだ勢いがあった時代に出てきたAIBOを見て、さすがに遊び心もあってSONYらしいと感心したものです。その後、SONYは次第に以前の輝きを失ってきて、いったいどこに向かっているのだろうと思っていました。そのようにSONYが弱体化してきたタイミングで、AIBOの寿命が来つつあるというニュースを耳にしました。家電製品と考えれば、寿命があるのは当然のことかもしれませんが、SONYの優秀な技術者であれば、実際にはもっと長生きのロボットを作れる技術を持っていたのではないかと思います。AIBOは、飼い主の育て方により、それぞれ個性が見られるようになり、本物のペットのような存在になるとも聞きました。そのようなことから、AIBOの寿命は、実際の犬の寿命を大きく超えないように最初からプログラムされていたのではないかと、ふと思ったのは、SONYを応援してきた私の単なる幻想でしょうか。(亀下)

「リケジョ」雑感 (2014年5月15日 亀下)


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ある人から聞いた笑い話ですが、昔、海外の偉い先生が京大に来て講演をされた時のことです。講演のはじめに“Ladies and Gentlemen!”と呼びかけて会場を見渡したところ、聴衆の中に女性がたった一人しかいないのに気がついて、慌てて “A lady and Gentlemen”と言い直したとか。この話の真偽のほどはわかりませんが、確かに私が学生だった時代には、女性研究者は非常に少なかったように思います。その頃に比べると、最近の大学では女性教員の数は増えてはいますが、それでもまだまだ少ないと思います。
それに対し、アメリカなどでは、女性研究者の数が日本よりもはるかに多く、第一線で活躍している研究者が目立ちます。日本でももっと女性研究者の割合が増えた方がよいとは思いますが、それには短期間に無理やり採用数を増やすのでなく、働く女性をバックアップする環境を整えることにより、自然に増えてゆく形がよいのではないかと思います。

女性研究者を増やそうという政策の一環なのかどうかはわかりませんが、数年前から「リケジョ」という言葉が盛んに使われるようになりました。最初にこの言葉を聞いたときには、語呂の悪さと、不自然な言葉の響きから、とても馴染めないと感じました。最近では農学部でも女子学生が増え、男女の比率はほぼ半々になりつつあります。男女を比較すると、女子学生の元気さが目立ち、日頃から男性陣を圧倒しているように見えます。研究室で熱心に実験に取り組む女子学生を見ていると、特に「リケジョ」と、もてはやす逆差別政策をあえて採用しなくても良い方向に向かうだろうと私は期待しています。

「女医」という言葉は、差別用語で使ってはいけないそうです。なぜなら、男性の医師を「男医」とは呼ばないからという話を聞いたことがあります。最近、若い女性研究者が、「リケジョ」という言葉とともに、テレビとか新聞を賑わしました。何故、わざわざ「リケジョ」なのか、単に「若手研究者」と呼んだらよいのではないかと思いましたが、このマスコミが盛り上げようとした「リケジョ」ブームが、残念な形で、しぼみつつあるのは私にとっても予想外のことでありました。

いずれにしても「リケジョ」は、女性を特別扱いする差別用語ですし、言葉としての響きも心地よくありません。また、単純な数合わせを意図した微妙な人事選考が行われた陰で、優秀な若手男性研究者に活躍のチャンスが与えられないようなことがあるとすれば、それは日本の将来にとって大きな損失になるかもしれません。今後女性研究者を自然な形で増やしてゆくためには、まずは「リケジョ」なる不自然な呼び方をやめることから始めたらどうかと思うのですが・・。(亀下)

ネーミングから来るイメージ 雑感 (2013年12月25日 亀下)

以前の雑感で、“Glycine”という名前のマンションがあるという話を書きました。どんなアミノ酸マニアのオーナーなのか、気になっていましたが、やはりここは研究者として真実を突き止めたいと欲求が芽生えました。そこでこのマンションに一番近いコンビニに車を停め、歩いてマンションまで行ってみたところ、マンションの入り口には、”Glycine”のアルファベットとは別に「グリシーヌ」の金属プレートが。このプレートを見て、これまでの謎が一気に解けました。Glycineは、私が信じて疑わなかったアミノ酢酸のグリシンではなく、グリシーヌだったのです。“フランシーヌ” “ジョセフィーヌ” “グリシーヌ” ですか。ヨーロッパあたりの上流階級のお嬢様。金髪で、スタイルもよく、しかもかなりの美人です。特に、“グリシーヌ”は、“セリーヌ”よりも小柄なこともあり、私のイメージとしては特に若くて清楚な深窓の令嬢のイメージですね。なるほど。
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私の研究室は、動物機能生化学という名前が付いているのですが、看板に掲げている動物だけでなく植物やキノコも研究材料として扱っています。キノコについては、同じ学部内のキノコの専門家である麻田先生、渡辺先生との共同研究でキノコの研究を始めたという経緯があります。我々がコプリと呼んでいるキノコCoprinopsis cinerea に含まれる酵素や機能タンパク質の解析を進めているところですが、キノコの酵素に関しては、動物では見られない色々面白い特徴が見つかりつつあります。私の研究室でコプリのプロテインキナーゼCoPKの研究を行い博士号を取得した金子君が、どこから情報を仕入れてきたのか、コプリの仲間で食べられるキノコがあって、商品名が“コプリーヌ”であることを教えてくれました。なかなかのネーミングでないですか。確かにネットで調べてみると、「コプリーヌ茸」は、癖がなくどんな料理にもあうと書いてあります。また、アワビのような食感で、旨みが強いとも書かれていますので、私も是非一度味わってみたいと思います。コプリーヌは、イメージ的には、上品に盛り付けられたフランス料理に向いてそうですね。ホテルの最上階の高級レストランで皿に盛られたコプリーヌのソテーを召し上がっている上品そうなご婦人が目に浮かびます。

私たちが食用にしているシイタケ、松茸、エノキタケなどのキノコは、菌糸が様々な刺激により形態変化を起こして形成される子実体と呼ばれる部分です。カビのような菌糸体から子実体が形成されるところを見ていると、何故こんなものが食用になったのか、しかも美味しいのか不思議に感じられます。ただ、我々が実験に使っているコプリ、すなわち ”Coprinopsis cinerea” は、確かにキノコではあるのですが、とても食べられそうには見えません。種類が違うとはいえ、我々がコプリと呼んで実験に使っているキノコの和名が“ウシグソヒトヨタケ”であることを話題にするのは、ご婦人の食事が終わるまで待った方が良さそうです。(亀下)

街角の風景 雑感(2013年9月26日 亀下)

私は高松市内に住んでいて、三木町にある大学までおよそ12キロの道のりを毎日通勤しています。行き帰りに車を運転しながら、周りの風景を観察していますが、町の風景も年々変化してきています。新しい場所にコンビニが出来たり、見慣れたうどん屋がある日突然閉店していたり、何気なく街角の風景を観察しながら約20分のドライブを楽しんでいます。

zakkan1.jpg写真(1)マンションには、洒落た横文字の名前が付けられていることが多いですが、時折、意味のわからないネーミングに出会うこともあります。写真(1)は、通勤途中に見つけたマンションの名前です。おそらく一般の方は、気にも留めないことと思いますが、生化学の専門家としては、見過ごせない名前です。“Glycine”は、タンパク質を構成する20種類のアミノ酸のひとつですが、この言葉をわざわざマンションの名前に使うということは、何か特別な意味があるのだろうか。あれこれ考えながら大学に着いてすぐ、辞書を引いてみると、“グリシン=アミノ酢酸;最も単純なアミノ酸の名前”としか書かれていません。それではグリシンがあるなら、あと19種類のアミノ酸名のついたマンションもどこか別のところにあるのもしれないなどと想像するだけで楽しいですが、少なくとも高松市内には見当たらないようです。Serine、Cysteineとかであれば、まだマンション名としては使えるかもしれませんが、PhenylalanineとかIsoleucineなどになると、マンション住民としては、少々迷惑かもしれません。どのような理由でマンション名がGlycineに決まったのか、機会があれば命名した人に聞いてみたいものだと思いながら、いつもその横を通り過ぎています。


zakkan2.jpg写真(2)
もうひとつ写真(2)を見てください。この店はいつも帰りに通る道にあるのですが、外観からはコーヒーショップか美容室のように見えます。この ”PAGE” という言葉に思わず反応してしまうのも、職業柄なのでしょう。PAGEは、ポリアクリルアミドゲル電気泳動(Polyacrylamide gel electrophoresis)の略号であり、学術雑誌に論文を書く時に略号をそのまま使えるほど、我々の分野では一般的な言葉です。PAGEと聞けば、”SDS”ですか、それとも”Native”ですか?とか聞きたくなりますが、これも一般の方には面白くも何ともないことでしょう。このPAGE-BOYは、外からは中が見えないような店なのですが、中で何人かの少年たちがミニ電気泳動槽を並べて、電気泳動を楽しんでいる姿など妄想を膨らませているうちに家に到着します。 (亀下)

実験失敗学雑感(2012年6月18日 亀下)

久しぶりに畑村洋太郎著の“失敗学のすすめ”を手に取り読んでみましたが、数年前とはまた違った頭で読み直すことができました。この本には、失敗情報にはいくつかの特徴があると書かれています。「失敗情報は伝わりにくい。」「失敗情報は、減衰する。」「失敗情報は隠れたがる。」また、「失敗原因は変わりたがる。」などという点も、最近の事例にぴったり当てはまる特徴です。10年以上前に書かれた本ですが、今読み返してもなるほどと思うことばかりです。

考えてみると研究室は、失敗学の宝庫と言えるかもしれません。宝庫という言葉は適切ではないかもしれませんが、日常茶飯事の出来事と言えます。失敗学の本には「良い失敗」と「悪い失敗」があると書かれていますが、研究室には、「笑える失敗」と「笑えない失敗」があります。

香川大農学部では、卒論課題研究が3年生の後期からスタートしますので、毎年10月に各研究室に3年生が新メンバーとして配属され、卒論テーマに取り組むことになっています。その新人達は、当然のことながら最初は、ほぼ真っ白な状態で研究室に配属されます。そのため私の研究室では、研究に必要な基本的技術を覚えてもらう期間として、1か月半ほどトレーニング実験を行います。このトレーニング実験は、先輩の大学院生たちがそのスケジュールと内容を計画して、指導も分担して担当することになっています。その内容は、ピペッターの操作からタンパク定量、電気泳動法、遺伝子クローニング、大腸菌での発現と精製など毎年共通の項目ですが、さらにその年の担当者により少しずつバリエーションが加えられたりしています。このように新人には一通り、研究室の作法を教えているのですが、その後教えたはずの実験をひとりでやらせると、必ずと言っていいほど、なんらかの失敗をやらかすのが恒例行事になっています。

サンプルをのせて電気泳動を始めたのに電流が流れません、という学生に連れられて実験室に行ってみると、泳動前に外すべきシリコンパッキングをつけたまま泳動していたこともありました。この手の失敗であれば原因がわかりやすいですし、一度であれば笑えますが、これを同じ人が二度三度やると、とても笑えない状況になります。また、電気泳動がうまくいかないという新人の訴えで、周りの先輩たちが集まってあれこれ首をひねりながら、原因を探っていたことがあります。たまたま泳動バッファーから酢酸の臭いがすることに誰かが気付いて、バッファーを間違えただけの単純ミスだったことが判明しました。本人に聞いてみると、泳動バッファーとゲル脱色液を同じ形の試薬瓶に入れていたため入れ間違えたとのこと。新人がやらかす失敗は、開いた口がふさがらないようなとんでもない失敗だったとしても、比較的原因が突き止めやすく、また簡単に防げる失敗がほとんどであることに気付きます。
img0001.jpg農学部近くの蓮池には、四国88か所にちなんで88体のお地蔵さんが並んでいる。
私は、学生が失敗してガッカリしている時には、「誰でも失敗することはあるので、必ず失敗から学んで成長してほしい。」と言うのですが、なかなかこの言葉が通じる人とそうでない人がいるので研究室は大変です。同じ失敗を繰り返さないのは、もちろんですが、“同じような失敗”も防げるように学習してほしいと思うものです。兄姉が親に怒られている姿をみて、要領よく立ち回る末っ子みたいな賢さも時には必要だと思います。その失敗した学生だけではなく、周りの学生たちにも同時に注意喚起している積りですが、大抵当事者以外は我関せずといった風に見えてしまいます。失敗を防ぐコツなども教えている積りですが、似たような失敗が繰り返されるのを見ていると、やはり「失敗情報は伝わりにくい。」「失敗情報は隠れたがる。」という特徴なのでしょうか。

性格も考え方も違った学生たちが集まる研究室では、ここに書けない失敗談も、本2冊が書けるくらいの事例の蓄積があります。失敗例は隠さずに公表すべきだと失敗学の本には書いてありますが、研究室における笑えない失敗談に関しては、ここに具体例を現職教授が書いた時に、具合の悪い当事者がいるかもしれません。いずれほとぼりが冷めたころにでも研究室失敗事例集でも出すことにしましょう。こういった失敗談は、思い返せば笑って済ませられるものが多いと思いますが、笑っているように見えても教授の顔が引きつっている場合もあるので、学生の皆さんはくれぐれも注意してください。(亀下)

2011年夏・雑感(2011年7月22日 亀下)


2011年3月11日に東日本で大震災・大津波が起き、さらに福島での原発事故と大変な出来事が続きました。原発事故の深刻さは、おそらく新聞等で報道されている以上のものと想像され、どのような方向に収束するのか、また本当に終息するのか不安なことばかりです。今回の震災で大きな被害を受けた仙台には、私も以前住んでいたことがあり、知り合いも多く、他人事とは思えません。一日も早く被災地が本当の意味で復活することを祈るばかりです。

 さて、私が香川大学農学部に研究室を立ち上げてから11年が過ぎました。2000年の10月に最初の卒論学生となる木下君、多田君2人の男子学生が研究室に分属して以来、数えてみると今年で卒業生が50名を超えました。最初の頃は圧倒的に男子の多い、男くさい研究室でしたが、近年、なぜか急に女性の比率が高くなり、男子学生は完全に女子学生の支配下に置かれているように見えます。男子学生の奮起を期待したいところですが、今の状況も平和な雰囲気で悪くないかなとも思っています。

 研究内容は、着任以来取り組んできた(1)プロテインキナーゼの網羅的解析から派生してきたテーマ、(2)カルモジュリンキナーゼホスファターゼの機能解析に関するテーマ、(3)不思議な思いつきテーマ、の3本立てから成り立っています。3番目の訳のわからないテーマは、荒唐無稽な思いつきから何か面白いことが見えてくるかもしれないなどという、いい加減な私が考えた“独創的?”なテーマです。ただ、残念なことにほとんど当たらないので3本立てと言ってよいものかどうか・・・。常に学生からの斬新なアイデアを募集していますが、宝くじはそう簡単に当たるものではありません。
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 注目度の高い流行の研究テーマに取り組み、一日でも早く論文を発表するようなやり方は、競争力の弱い我々の研究室には向かないと思っています。そこで今の研究室の方針としては、学生の教育を中心に考えた身の丈に合った研究課題に地道に取り組んでいくという形をとっています。それでも、学生達は時折予想外に面白いことを見つけてくれますが、そこから論文の形にするまでの道のりが遠くてなかなか大変です。もう少し効率的に仕事が進められないものかと思うこともしばしばですが、まあ、焦ったところでどうにもなりませんので、ビスタリ〜・ビスタリ〜で行くしかありません。 (亀下)