1.私たちの暮らしを支えるスゴイ微生物「酵母」
皆さんは「酵母」と聞くと、何を思い浮かべるでしょうか? パンやビール、日本酒などをつくる微生物というイメージが強いかもしれません。
酵母は、古くから人類の食生活を支えてきた、最も重要な産業微生物の一つです。酵母による発酵は、パンを膨らませたり、アルコールをつくったりするだけでなく、さまざまな食品の製造に利用されています。
さらに現在では、医薬品の製造やバイオエタノールなどの再生可能エネルギーの生産にも利用され、その活躍の場は食品産業を大きく超えて広がっています。
世界の酵母および酵母関連製品の市場規模は、2025年時点で年間約9,000億円に達すると推計されています。酵母を利用して製造される食品や酒類なども含めると、その経済的重要性はさらに大きなものとなります。

図1-1.様々な分野で活躍する酵母
酵母はパン、ビール、ワイン、日本酒などの発酵食品だけでなく、インスリンやB型肝炎ワクチンなどの医薬品、バイオ燃料の製造にも利用されています。この小さな微生物は、私たちの暮らしを幅広い分野で支えています。
産業における重要性に加えて、酵母は真核細胞のモデルとして、基礎研究分野において様々な生命現象の理解に役立ってきました。
2.酵母はヒトの生命現象を理解するための優れたモデル生物
酵母の魅力は、産業への利用だけではありません。実は、**生命のしくみを研究するための優れた「モデル生物」**でもあります。
モデル生物とは、生命現象を調べるために研究対象として利用される生物のことです。
酵母は、たった一つの細胞で生きる単細胞生物ですが、その細胞にはヒトと同じように核やミトコンドリアなどの細胞小器官が存在します。このような細胞を「真核細胞」と呼びます。
ヒトと酵母は見た目がまったく異なりますが、細胞の増殖、タンパク質の輸送、細胞内の物質分解など、生命活動の基本的なしくみには多くの共通点があります。酵母の遺伝子には、ヒトの遺伝子と類似したものが数多く存在することも知られています。
そのため、酵母を使って生命現象を研究することは、ヒトの細胞が働くしくみや、がんなどの疾患が起こるしくみの理解にもつながります。

図1-2.生命現象とモデル生物
免疫、発生、細胞周期など、調べたい生命現象によって適したモデル生物は異なります。酵母は特に、細胞周期、細胞内輸送、オートファジーなど、細胞に共通する基本的な生命現象の研究に適しています。

図1-3.酵母が生命科学の研究に使われる理由
大腸菌は核を持たない「原核生物」ですが、酵母はヒトや植物と同じ「真核生物」です。酵母は単細胞でありながら、ヒトの細胞と共通するしくみを備えているため、複雑な生命現象を比較的簡単に研究できます。
酵母を用いた研究から、細胞が増殖するしくみ(細胞周期)、タンパク質を細胞外に分泌するしくみ(タンパク質分泌)、細胞内の不要な成分を分解するしくみ(オートファジー)などが解明されてきました。
これらの研究は、2001年、2013年、2016年のノーベル生理学・医学賞にもつながっています。
小さな酵母の研究が、世界的に重要な生命科学の発見を生み出してきたのです。
3.酵母には大きく分けて2つのモデル生物がある
生命科学の研究で広く使われている酵母には、出芽酵母(Saccharomyces cerevisiae)と分裂酵母(Schizosaccharomyces pombe) の2種類があります。
出芽酵母は、細胞の表面に小さな芽をつくり、その芽が成長することで増殖します。一方、分裂酵母は細長い細胞が伸び、中央で二つに分かれることで増殖します。
どちらも酵母と呼ばれていますが、進化的には約5億年前に共通祖先から分かれたと考えられており、細胞の形や増殖のしかた、遺伝子の構成にも大きな違いがあります。

図3-1.出芽酵母(Saccharomyces cerevisiae)
・染色体数 16本 全ゲノム塩基配列解読済み (12.1 Mb; 6,465 遺伝子)
・小さなセントロメア (~120 bp)
・イントロンの数は、300程度
・約4.5%の遺伝子がイントロンを持っている
・複製起点(ARS因子)は、100-150 bp
・2つの性タイプ(αとa)がある

図3-2.分裂酵母(Schizosaccharomyces pombe)
・染色体数 3本 全ゲノム塩基配列解読済み (12.6 Mb; 6,974 遺伝子)
・大きなセントロメア (40-100 kb)、ほとんどは繰り返し配列
・イントロンの数は、5000程度
・約40%の遺伝子がイントロンを持っている
・複製起点(ARS因子)は、500-1500 bp
・2つの性タイプ(h+とh-)がある
4.なぜ酵母は遺伝学の研究に適しているのか?
酵母が優れたモデル生物である大きな理由の一つが、遺伝学的な解析を行いやすいことです。
出芽酵母は通常、1セットの染色体を持つ一倍体細胞として増殖できます。一倍体にはa型とα型という2種類の性である接合型があり、異なる接合型の細胞が互いに性フェロモン(α因子とa因子)を介して刺激し合って接合すると、2セットの染色体を持つ二倍体細胞になります。
さらに、二倍体細胞は減数分裂によって4つの一倍体の胞子を形成することができます。
つまり、酵母では一倍体と二倍体を行き来させながら、遺伝子の働きを詳しく調べられるのです。
一倍体酵母細胞は、遺伝子を1セットしか持たないので変異に伴う形質が二倍体と異なり表現型として現れやすいため、変異株の取得が容易です(二倍体細胞の倍は、潜性変異の場合、両遺伝子座がともに変異が入らないと形質として現れない)。

図4.出芽酵母の生活環
出芽酵母は、出芽による増殖、異なる接合型間の接合、減数分裂による胞子形成という生活環を持っています。一倍体と二倍体を使い分けられるため、遺伝子変異の性質や遺伝のしくみを効率よく解析できます。
さらに酵母には、培養が簡単で、約2時間という短い時間で細胞が倍増するという利点もあります。また、遺伝子を改変する技術も確立されています。
こうした特徴から、酵母は遺伝子の機能を調べるための非常に優れた実験材料となっています。
5.酵母を使って未知の遺伝子の働きを発見する!
私たちの研究室では、酵母を使った「遺伝学的スクリーニング」という方法を利用しています。
遺伝学的スクリーニングとは、多数の変異株の中から、特定の性質を持つものを探し出し、その原因となる遺伝子を明らかにする方法です。
例えば、ある薬剤に弱くなった酵母や、高温でも増殖できるようになった酵母を探すことで、その性質に関係する遺伝子を見つけることができます。
変異株を探し出す「レプリカ法」
多数の酵母の中から目的の変異株を探す際に、レプリカ法という方法が利用されます。
レプリカ法は、寒天培地上にできた多数の酵母コロニーを、ベルベットの布などを使って別の培地に同じ配置で移し、生育の違いを比較する方法です。
例えば、普通の培地では増殖できるのに、特定の薬剤を含む培地(選択培地)では増殖できない酵母を見つけることができます。

図5.レプリカ法による酵母変異株のスクリーニング
薬剤処理などによって多数の変異株を作製し、コロニーをベルベットに写し取って別の培地へ移します。通常培地と選択培地で増殖を比較することで、目的の性質を持つ変異株を効率よく見つけられます。
6.見つけた変異の原因遺伝子を調べる
目的の変異株が見つかったら、次は「どの遺伝子に変異が起こったのか?」という謎を解いていきます。
ここで威力を発揮するのが、酵母の遺伝学的解析法です。
① 変異の性質を調べる
変異株と正常な酵母を接合させて二倍体をつくり、その性質を調べます。
変異による性質が二倍体でも現れるかどうかを調べることで、変異が優性か劣性かを判定できます。

図6-1.優性変異と劣性変異の判定
変異株と野生株を接合させ、得られた二倍体の性質を調べます。遺伝子変異がどのように表現型に影響するかを解析するための基本的な実験です。
② 異なる変異が同じ遺伝子に存在するかを調べる
同じ性質を示す変異株が複数得られても、原因となる遺伝子が同じとは限りません。
そこで異なる変異株同士を接合させ、二倍体で正常な性質が回復するかどうかを調べる「相補性試験」を行います。

図6-2.相補性試験の原理
異なる劣性変異を持つ株を接合させます。正常な性質が回復すれば、一般に異なる遺伝子に変異が存在すると考えられます。一方、回復しなければ同じ遺伝子に変異が存在する可能性があります。

図6-3.相補性試験による変異株の分類
多数の変異株を組み合わせて相補性試験を行うことで、原因遺伝子が同じと考えられる変異株をグループに分類できます。これにより、目的の生命現象に関係する遺伝子が何種類あるのかを推定できます
③ 胞子を調べて変異の遺伝を追跡する
酵母の二倍体細胞は、減数分裂によって4つの胞子をつくります。この胞子を一つずつ分離して培養すると、遺伝子変異が子孫にどのように受け継がれるかを調べられます。

図6-4.四分子解析による遺伝子変異の解析
二倍体細胞から形成された4つの胞子を顕微鏡下で一つずつ分離し、それぞれの性質を調べます。変異の遺伝様式や複数の遺伝子間の関係を詳しく解析できます。
④ 原因となる遺伝子を突き止める
最後に、正常な酵母の遺伝子を変異株に導入し、異常な性質が回復するかどうかを調べます。
正常な性質を回復させる遺伝子が見つかれば、それが原因遺伝子を特定する重要な手がかりとなります。

図6-5.ゲノムDNAライブラリーを利用した原因遺伝子の同定
野生型酵母のゲノムDNAを断片化してプラスミドに組み込み、多数の遺伝子を含むDNAライブラリーを作製します。このライブラリーを変異株に導入し、異常な性質を回復させるDNAを探すことで、原因遺伝子を同定します。
7.小さな酵母から生命の大きな謎に挑戦する!
酵母は、パンやお酒をつくる身近な微生物でありながら、生命科学の発展にも大きく貢献してきました。
私たちの研究室では、この酵母の優れた遺伝学的特性を活用して、細胞膜マイクロドメインの形成機構や膜を構成する脂質代謝制御機構を解析し、これらの細胞膜の構造や脂質の制御が細胞が環境の変化やストレスにどのように対応するのかといった生命の基本的なしくみを研究しています。
また、酵母発現系を利用して植物に病気を起こす病原性細菌がもつ病原因子である病原菌エフェクターの機能解析などにも取り組んでいます。
一見すると小さく単純な生物ですが、その細胞の中では、ヒトの細胞とも共通する複雑で巧妙なしくみが働いています。
酵母を使った研究の魅力は、自分で新しい変異株を見つけ、実験を重ねながら、これまで誰も知らなかった遺伝子の働きを明らかにできることです。
メッセージ
小さな酵母の研究から、生命の大きな謎に挑戦してみませんか?
