研究内容


 杉山研究室では、細胞内および細胞間における情報伝達の中でも、タンパク質リン酸化を介したリン酸化シグナリングに着目して、様々な生命現象の分子メカニズムの解明を目指しています。
 現在の主な研究対象は、2型糖尿病における糖毒性の発症機構、がんにおける抗がん剤の作用機構、新規リン酸化シグナリング解析手法の開発などです。これ らの解析には、生化学的手法や分子生物学的手法を駆使し、哺乳動物培養細胞やマウスおよびラットなどの実験動物を用いています。


左は実験動物のマウスで、右は糖尿病モデル細胞のINS-1細胞です。


以下に主な研究について紹介しています。

<リン酸化シグナリング解析手法>

癌の原因遺伝子としてチロシンキナーゼのSrcが発見されてからプロテインキナーゼの研究が数多く成されてきました。その多くは個々のキナーゼをひとつひとつ解析する研究でした。現在では、ゲノムプロジェクトが完了し、ヒトでは518種 類のキナーゼが存在することが知られています。これらキナーゼはほぼ全ての生命現象におけるシグナル伝達に関わり、癌などの様々な疾患の原因遺伝子として 知られています。そのため、プロテインキナーゼを網羅的に解析することができれば、様々な生命現象のメカニズムの解明や疾病の原因究明に役立つと考えられ ます。そこで我々は、全てのプロテインキナーゼを網羅的に検出する方法を考え、プロテインキナーゼと幅広く反応するマルチPK抗体を作製することに成功しました(Kameshita et al., Anal. Biochem., 2003, Sugiyama et al., Anal. Biochem., 2005)

 

マルチPK抗体とは

 従来の良い抗体とは「目的のタンパク質を特異的に認識する抗体」であり、個々のタンパク質の解析において非常に効果を発揮してきました。しかし我々は、これまでの考えとは逆転の発想をもとに、プロテインキナーゼ(PK)ファミリーのタンパク質群を幅広く認識する抗体を取得できればPKの網羅的解析に役立つと考えました。そこで、PKの触媒領域の中でも最も高度に保存されたサブドメインVIB配列を基に合成したペプチドをマウスに免疫することにより、PKを幅広く認識できるモノクローナル抗体を作製し、この抗体をマルチPK抗体と命名しました。これまでに、マルチPK抗体としてSer/Thrキナーゼと反応する抗体(M1CM8C)とTyrキナーゼを認識する抗体(YK34)を取得しています。



マルチPK抗体を用いたキナーゼプロファイリング法の開発

 PKをプロファイリングするためには、一次元のSDS-PAGEで分画してマルチPK抗体を用いたウエスタンブロット解析を行うだけでは不十分だと考えられます。そこで我々は、等電点分離後にSDS-PAGEを行う二次元解析によりPKをプロファイリングする方法を考えました。一次元目に一般的によく利用されている固相化ゲル等電点分離を行うIPGphor (GE Healthcare)を用いた場合には、非常に分離能に優れた解析を行うことができます。しかし、約100 kDa以上の高分子タンパク質の収率が良くありません。そこで、一次元目に溶液中で等電点分離するMicroRotofor (Bio Rad)を利用することにより高分子タンパク質を高効率で分離するプロファイリング法(MicroRotofor/SDS-PAGE)を開発しました(Sugiyama et al., Anal. Biochem., 2006)

 最近になり、細胞内に発現するPKのリン酸化状態をまとめて解析する手法として、マルチPK抗体とPhos-tag SDS-PAGEを組み合わせた手法を開発しました(Sugiyama et al., MethodsX, 2015)。この手法はリン酸基に結合するPhos-tagを含むゲルでサンプルを泳動することによって、リン酸化タンパク質の移動度を下げて、アップシ フトバンドとして分離し、マルチPK抗体によりPKのみを検出することでリン酸化PKを解析する手法です。さらに、この手法を改良してマルチPK抗体と Phos-tag 2D-PAGEを組み合わせた細胞内PKのリン酸化動態のプロファイル法を確立しました(Uezato et al., BBA, 2018)。

 

マルチPK抗体を利用したプロテインキナーゼ同定法

 マルチPK抗体を利用することで、細胞内のキナーゼの全体像を捉えることができ、その動態変化を観察することが可能となりました。しかし、発現量や局在が変化しているPKの種類を決定することはできません。そのため、マルチPK抗体で検出したPKを簡便に同定する方法の開発を行いました。考案した方法(CNBr-2D-PAGE)は目的のPKの情報をもとにデータベースからPKを推定して決定する方法です。まず、前述した二次元電気泳動法により目的のPKの分子量と等電点を調べます。これに加えて、目的PKの情報を得るため以下の方法を開発しました。細胞抽出液をSDS-PAGEによって分離し、分離したレーンを切り出します。次に、マルチPK抗体のエピトープ(抗原認識部位)にメチオニン残基が存在しないことを利用して、ゲル中のタンパク質を臭化シアンで処理してメチオニン残基で切断します。そして、このゲルを二次元目のSDS-PAGEに供してマルチPK抗体を用いたウエスタンブロット解析を行い、目的PKのサブドメインVIBを含む断片の分子量の情報を得ます。このように得られた目的PKの分子量、等電点、断片分子量からPKを推定し、特異的抗体を用いて同定します(Sugiyama et al., Anal. Biochem., 2008)


これらの手法を用いて、「2型糖尿病の糖毒性の解析」で紹介する糖毒性に関わるPKの同定を行いました。




2型糖尿病の糖毒性の解析>
  代表的な生活習慣病の一つとして2型糖尿病が挙げられます。2型糖尿病の発症には生活習慣と遺伝的要因の両方が密接に関与していると言われており、その原 因 としてインスリン分泌障害とインスリン抵抗性が知られています。現在、世界の糖尿病有病者は3.7億人以上存在しており、その約90%が2型糖尿病患者で す。2型糖尿病にかかると糖尿病性腎症などの多くの合併症のリスクが高まることからも、2型糖尿病の発症メカニズムや病態の原因解明が望まれています。


糖毒性におけるインスリン分泌障害メカニズムの解明

2型糖尿病患者では慢性的な血糖値の増加によってインスリン分泌障害やインスリン抵抗性といった糖毒性という症状が見られ、これが糖尿病を深刻化させる原因の一つと言われています。しかし、糖毒性の発症メカニズムについては不明な点が多いのが現状です。

ラットインスリノーマINS-1細胞は高グルコース濃度で培養するとインスリン分泌の低下(糖毒性)が観察されることから糖尿病モデル細胞として用いられています。そこで我々は、様々なグルコース濃度で培養したINS-1細胞に発現するPKをマルチPK抗体を用いて解析したところ、63 kDaのバンドがインスリン分泌と連動して増減することを見出しました(図A, B)。そこで、「1.リン酸化シグナリング解析手法の開発」で説明したマルチPK抗体を用いたPK同定法によって、このタンパク質がCalcium/calmodulin-dependent protein kinase IV (CaMKIV)であることを同定しました(図C)。そして、糖毒性条件においてCaMKIVの活性がインスリンプロモーターを制御することから、糖毒性におけるインスリン合成にCaMKIVが密接に関与することを示しました。また、糖毒性時のCaMKIVの減少がCalcium依存性のプロテアーゼであるカルパインによることを見出しました。さらに、糖毒性におけるCaMKIVの発現低下が糖尿病モデルラットOLETFの膵島細胞においてもコントロールラットLETOと比較して40%にまで低下するを示しました。これらの結果は、糖毒性条件下におけるインスリン分泌制御においてCaMKIVが重要な役割を果たすことを示しています(Sugiyama et al., Metabolism, 2011)




 

現在は、糖毒性状態において発現変動する遺伝子をマイクロアレイを用いて網羅的に解析して、糖毒性が関与するいくつかの生命現象を見出しています。今後は、糖毒性の発症メカニズムを分子レベルで解析していく予定です。